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よみがえりのキリストの霊によって生きる

ローマの信徒への手紙8:9-11

 緊急事態宣言が出て、またあまりに毎日感染者数が増えて暗い気持ちになりがちな、そういうイースターを迎えました。焼き肉パーティのはずだったのに殆どの方がWEBで礼拝をせざるを得ないそういう前代未聞のイースターになりました。日本基督教団の教会では礼拝自粛の通知が金曜日に来まして、大教会でも工夫して礼拝を守っていた方が怒っていました。高齢者はネットなど使えない方が殆どですから、イースターの礼拝に参加できないわけです。

 ある教会の方から大教会の牧師が、世の終わりに近づいている。コロナに効くと言われるアビガンにはマイクロチップが含まれていて、私達は管理されコントロールされるからダメだ、これは666の獣の刻印だ、と語った話を聞きました。本当に信徒さんが服薬拒否したらどう責任をとるのか、と怒りを感じましたが、そういう混乱も存在しています。

 こういう状況の中で私は何故だか、今年は全く受難週に受難に思いが行かない、という奇妙な体験をしました。毎年であれば例えば映画『パッション』を見てバケツ一杯泣く、等のことが通例ですが、パッション見たりできないのですね。その代りに先週とりあげた「しかし、勇気を出しなさい。私は既に世に勝っている」というみ言葉が響き続けるのです。先週語りましたが、キリストの心理状態を辿る時、悲しいというより、張り詰めた中で墜落している。失神しそうになっている。その中で勝利を宣言なさる、主の強さばかりが迫るのです。それは私の周辺の牧師たち数人と話しましたがみな、そうなのですね。

 昨日犬の散歩に出まして、早朝で人気が無いのをいいことにいつものベンチで、賛美デボーションの時間を持ったのです。これはもう復活の讃美歌を何曲も何曲も歌うのですね。そうこうしているうちに不思議な時間が来たのです。朝のひかりに包まれてしまい、涙が出そうになる。私には見えませんけれども、もう復活の白い衣のキリストがそこに立っているような気がしたのですね。本当に久しぶりの不思議な時間でした。

 その時に何かがすっと分かった気がしたのですね。私たちは今疫病という重荷を背負わされている。十字架を背負わされている。その私たちに十字架の黙想をしてついて来なさい、とはおっしゃらないんだ、ということでした。私たちが平穏な時には私たちは受難についてくるように招かれる。しかし、私たち自身が苦しみを背負う時にキリストが私達を背負われる。私について来たいと思うならば、自分を棄て自分の十字架を負ってついて来なさい。そうではなくて、私のもとに来なさい。休ませてあげようの方なのです。十字架を背負って呻吟する時には、十字架が私達を背負って下さる。そしてそればかりではない。強い意志で勝利へ、連れて行ってくださるということ。そのことが響いて来たのですね。

 今日の復活祭のメッセージではそこから先のこと、先週説教原稿に書いておきながら、何故か語らなかったことを中心に語りたい。

 それは一言で言えば私たちはこの勝利されたキリストの霊、復活されたキリストの霊なる聖霊を与えられている、ということなのです。

 パウロはここで不思議な言いかえをしていますね。キリストの霊、イエスを復活させた方の霊、神の霊。復活させた方の霊もキリストの霊も、神の霊も同じ聖霊のことを意味します。一連のことがみな、同じ聖霊によってなされているのですね。させるほうもさせられる方もみな、神の霊なわけです。

 死への勝利とは、究極の勝利のことです。復活させられたキリストの霊が私達に宿って下さっている。私たちはだから、永遠の命を与えられている。イエス様は十字架にかかってよみがえられた。死に勝って下さった。その方の霊が私達の内側に宿って下さっている。それが聖霊を体験するということなのですね。特に異言を語らなければ聖霊をクリスチャンは与えられていない、ということではありませんが、私達は聖霊の働きをリアルに体験できる。だから自己確認も出来る。

 私たちに与えられている聖霊、それは復活されたキリストの霊なのです。そして復活は究極の勝利である。その復活の聖霊によって、私達は永遠に生きる。私の霊は滅びない。滅びることは許されない。身体もよみがえりを与えられる。私たちはここに、すでに復活のキリストの霊をいただいている。みえないけれども、ここに復活の霊がリアルに宿って下さっている。

 私達は今、不安や恐怖の中で生きています。しかし、このキリストの霊を頂いている私たちは既に勝利している。強いキリストの意志によって勝利へと連れていかれる。ボンヘッファーは説教集で凱旋パレードに連れていかれるという表現をしていますけれど、彼は強制収容所の中での黙想で「主よ、あなたはお強い方です」というタイトルの黙想をしている。いつ殺されるか分からない中で、キリストの強さに引き寄せられ、奮い立たせられ、強められて行くわけです。

 今、たつべきところはそこです。復活の霊が私の胸に宿って下さっている。だから私たちはこの状況に勝利していくことが必ずできる。既にキリストが勝っておられるのだから、その御霊が宿って下さっているのだから。そのことを覚えていきたいと思います。

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